− 駅:筑肥線 −
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加布里
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東唐津
和多田
唐津
山本
姪浜(めいのはま)
地下鉄開業によって、起点が博多駅からここ姪浜に変更されています。駅は地下鉄開業時に建て替えられた高架の立派のもので、駅の近くには地下鉄の車両基地があります。駅周辺は市街地で、様々な種類の背の高い建物が建っています。
接続路線
1号線【空港線】(福岡市交通局)
下山門(しもやまと)
駅周辺は団地が立ち並ぶ住宅地ですが、近くには生の松原(いきのまつばら)と呼ばれる松林が残っています。現在の複線区間はここまでですが、筑前前原までのが複線工事中です。
九大学研都市
(きゅうだいがっけんとし)
平成17年に開業した駅です。
今宿(いまじゅく)
駅周辺は、福岡の市街地で住宅・商店が多く建っています。駅舎は昭和58(1983)年に立て替えらたもので、近くに「福岡歴史の町」や元寇時の遺跡、古墳などがあり、それにちなんで武家屋敷風のナマコ壁のものになっています。
周船寺(すせんじ)
かなり込み入った場所にある駅で、周辺には大型のマンションが多く建っています。駅舎は、隣の今宿駅と同年の昭和58年に建て替えられていますが、今宿駅とは正反対の周辺の新しい町を反映して、ウエスタン風になっています。
波多江(はたえ)
住宅地のど真ん中にある駅です。昭和58(1983)年に農協の建物と共用の駅舎に建て替えらました。建て替えられて間もなくの頃は、農協の職員が切符の販売を行っていたそうですが、その後乗客の増加により改札等の必要ができ、現在跨線橋の上に建物が新設され、JRから委託された社員が駅の業務を行っています。
筑前前原(ちくぜんまえばる)
駅舎は改装工事がなされ、近代的な橋上駅舎へと変貌を遂げました。周辺は福岡市のベットタウンで、地下鉄開業後は急激に成長しており、平成4(1992)年には人口5万人を達成し、前原町から前原市へと昇格しています。地下鉄の列車はここで折り返しますが、ここから唐津方面への列車も運行されているため、全線での運行本数が変わらないように工夫されています。昭和12(1937)年に国有化された際に、「前原」から現在名に改名されています。
美咲が丘(みさきがおか)
平成7(1995)年にできた新駅です。近くには、JR九州が中心になって開発した住宅団地があり、基本的にそこの人たちのための駅のようで、住宅団地側のみに出入り口が作られています。駅のデザインは、非常に奇抜で、JR九州らしさが良く出ています。駅名の「美咲が丘」は、住宅団地にもついている名前で、JR九州の若い女子社員が中心となって決めたのだそうです。
加布里(かふり)
簡易橋上駅舎といった感じの駅舎の駅です。こじんまりとした駅舎が跨線橋の上に乗っています。周辺は、住宅団地になっています。
一貴山(いきさん)
昔は周辺の農作物をこの駅で詰め込んでおり、駅舎も大きなものであったそうですが、現在では貨物輸送はもちろん扱ってなく、駅舎もの半分ほどが取り壊され現在に至っています。駅周辺は、古墳が点在しています。駅周辺は住宅地ですが、ちょっと離れると田圃が広がっておりのどかです。
筑前深江(ちくぜんふかえ)
駅周辺は、砂浜があり海水浴地として有名な場所です。駅は二丈町の役場近くにあり、田舎町が広がっています。
大入(だいにゅう)
なかなかおめでたい駅名の駅で、平成駅とここまでの乗車券が記念乗車券として販売されたことがあります。対面ホームと跨線橋で構成される簡素な駅です。周辺はそれなりに住宅が密集しています。
福吉(ふくよし)
昔は瓦葺き屋根、木造の典型的なローカル路線の駅でしたが、平成9(1998)年に現在の橋上駅舎に建て替えられています。ここから、浜崎までが最初に開通した筑肥線です。駅周辺は、住宅を中心とした田舎町といった感じになっています。
鹿家(しかか)
昔ながらの木造駅舎の駅です。周辺は古い住宅地になっています。駅から少し歩くと駅があり、荒々しく寄せては返す潮の満ち引きを見ることができます。このあたりは、筑肥線は海沿いに線路が引かれています。ここから、唐津方面に進むと佐賀県へと入ります。
浜崎(はまさき)
昔ながらの田舎町で、周辺はみかんの産地です。駅には運行上の設備が併設されており、なかなか立派な駅舎が建っています。
虹ノ松原(にじのまつばら)
小さな駅で、駅名の通り、「虹ノ松原」への最寄り駅です。駅周辺は、田圃と住宅が混在しており、駅前より松原が広がっています。ここから唐津へ向けては高架線です。
東唐津(ひがしからつ)
昭和58(1983)年の電化時に現在の場所に移り、高架駅となりました。唐津市の中心地よりそれほど離れていませんが、住宅がずいぶんまばらで、田圃が多く広がっています。
和多田(わただ)
唐津市の中心からちょっと外れたところにある駅です。昭和58(1983)年の電化時に新設されました。周辺は、大型の商店や住宅が密集しています。この駅近くで唐津線が分岐してます。
唐津(からつ)
昭和58(1983)年の電化時に現在の高架駅へと改築されています。唐津市の中心部にある駅で、近くに唐津城があります。
接続路線
唐津線
山本(やまもと)
筑肥線と唐津線との接続駅で、昭和46(1971)年までは岸嶽線(きしだけせん)もこの駅から接続されていました。3路線の接続駅であったため、構内は非常に広いですが、現在では一部のみが使われています。駅周辺は、国道沿いに商店が建ち並んでます。ここから、肥前久保、相知へ向けて筑肥線、唐津線の線路が並んでおり、まるで複線区間のようになっています。
接続路線
唐津線
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