− 駅:日豊本線 −
今津駅
今津(いまづ)
 古くからの住宅地に位置する駅で、住宅地の奥にあります。
天津駅
天津(あまづ)
 田圃と民家が広がる典型的な郊外の駅です。ちなみに、このあたり周辺の駅名の最後につく、「津」とは港のことです。
豊前善光寺駅
豊前善光寺
(ぶぜんぜんこうじ)
 民家と田畑が交互に、適度に点在しているところに位置している駅です。
柳ヶ浦駅
柳ヶ浦(やなぎがうら)
 「駅館川(やつかんがわ)」の為に大分方面への延長工事が難航したので、10数年の間豊州鉄道の終着駅として栄えました。現在ではそれほどではありませんが、それなりの人に利用されています。
豊前中州駅
豊前中州(ぶぜんなかす)
 地元の政治家が動いて、明治44(1911)年に出来たのがこの駅です。開設当時から、町外れの田圃が広がる場所にある駅だったようですが、現在でもあまり変化はありません。
宇佐駅
宇佐(うさ)
 宇佐神宮への最寄りの駅で、駅舎もそれと合うような造りになっています。また、「宇佐」はローマ字で表記すると「USA」となることで知られています。
西屋敷駅
西屋敷(にしやしき)
 立石峠の前にある駅です。3面を山に囲まれ、田圃が周りに広がるところにある駅となっています。
立石駅
立石(たていし)
 立石峠の南側に位置する駅で、V字型に対面ホームが2つ配置された、4番ホームまで持つ大きな駅でしたが、現在では無人駅となりホームも2番ホームのみとなっています。
中山香駅
中山香(なかやまが)
 典型的な田舎町の商店街にある駅です。昔ながらの姿を今に残しています。
杵築駅
杵築(きつき)
 昭和41(1966)年に「国東鉄道」が廃止になるまでの間は、国東半島への接続駅としてにぎわっていました。ここから杵築の市街地までは遠く、実はこの駅が開業した当時は「杵築」ではなく、「八坂」という名の村にありました。なんでも、駅の誘致を巡って、「杵築」と「八坂」の間で誘致合戦が起き、結局「八坂」に駅を造り、駅名を「杵築」とすることでまとまったという経緯があるそうです。ちなみに、現在は「八坂」とその周辺地域が「杵築」に合併され、「杵築市」になったため、名実共に「杵築」の駅となっています。
大神駅
大神(おおが)
 周辺に広々とした農地が広がる地に、ポッツと取り残されたようにあるのがこの駅です。
日出駅
日出(ひじ)
 写真を見ればわかると思いますが、少々変わった構造を持った駅です。市街地から離れたところにある駅となっております。
暘谷駅
暘谷(ようこく)
 日出城跡への最寄りの駅です。町の商店街からちょっと離れたところにある駅で、隣の日出駅と共に周辺住民に利用されています。
豊後豊岡駅
豊後豊岡(ぶんごとよおか)
 かつてこの駅の周辺には街道が通っており、陸海の交通の要所でした。現在はニュータウンに変貌し、通勤・通学に利用されています。
亀川駅
亀川(かめがわ)
 別府8湯といわれる、「亀川温泉」の最寄りの駅です。また、別府発の列車が入線時間までこの駅の引き込み線に止まっています。
別府大学駅
別府大学(べっぷだいがく)
 近くにある「別府大学」のために、昭和62年に建てられた駅です。通学時間ともなれば、学生でにぎわっています。
別府駅
別府(べっぷ)
 いわずと知れた九州最大の温泉地である「別府」の玄関口を務める駅です。高架で島ホームという駅になっています。
東別府駅
東別府(ひがしべっぷ)
 別府の一つ手前の駅です。かつては、大分からの電車(日豊本線とは別路線です)の終着駅であったため、歓楽街としてにぎわったという歴史を持ちます。
西大分駅
西大分(にしおおいた)
 旅客の扱いも行っていますが、大分駅に位置的に近いため、貨物の取り扱い駅としての役割の方が大きい駅です。駅前では忙しく行き来する作業車や、山積みされたコンテナを見かけることが出来ます。
大分駅
大分(おおいた)
 大分県の県庁所在地である、大分市の玄関口である駅です。県内を通過するJR線はすべてこの駅に接続されています。大分は大友氏22代、400年にわたる城下町で、駅前には21代大友宗麟の銅像があります。
接続路線
久大本線 豊肥本線
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